イルテラリウムは。和風・洋風、盆栽・アクアリウム・庭園などなど。
色々な文化を取り入れ、もしくは悪い言い方をすれば。様々な「文化・様式・意匠」等を、「利用」しながら構築しています。

このため。このページでは。
極めて「渋い」和風デザインを、世界のデザインと相対的に説明するため。(極めて)端的に、双方の歴史的背景を紹介させて頂きます。

ヨーロッパでは、「花を挿す」という習慣がほとんどなかったため。花瓶を引き合いに出すのは相応しくないかも知れませんが。
和風のシンプルなデザインの、象徴的存在の一つと考え。「一輪挿し」を選びました。
左:中国   中央:セザンヌ(西欧)   右:一輪挿し(日本)

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− 番外編 意匠T 和風 −

とは言え・・・。
「和風」「洋風」などと言っても、これは当然。こんな所で「語り尽くせる」筈がありません。
(自身、美術・芸術大学等の専門教育を受けた訳でもありませんし)

なので「考察」や「検証」「研究」等の、いわゆる「科学」では無く。
一般論的な歴史の流れを、ほんの少しだけ紹介するに留めたいと思います。

構成と致しまして。
歴史(世界史)の流れがデザインに対し、「具体的に、どのように影響していったか」に付きましてはあまり触れず。
その点は、読者様の知識・経験等に委ねさせて頂きたいと思います。

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ご存知のように、「和」の意匠は、極端なまでに「シンプル」です。

世界的に見ても、日本のデザインは極めてシンプルである事は。専門家で無くとも、日本人なら誰もが意識している事でしょう。

いわゆる「侘び・寂」です。

しかし室町時代以前はもっと、原色を使った。むしろ中国文化に見られるような、色鮮やかなものでした。
近年、奈良東大寺の創建当時の配色が、CGにより再現されましたが。その鮮やかさに驚かされた事は、記憶に新しいものですね。

この事象の変遷を、極めて「端的」に物語るのが、左図写真です。

あまりに端的過ぎて、「正確さ」に欠けますが。
私達にとって、最も身近な存在であり。日本人ならば、必ず理解できるファクターとして例に挙げたいと思います。

「お寺」と「神社」です。(左写真 上:奈良東大寺(奈良時代) 下:京都八坂神社(飛鳥時代))

仏教寺院も、元々は神社のように色鮮やかで。デザイン形状も、まるで「ギリシャ・コリント様式」のように複雑で、いわばサイケディリックのようでもありました。

この変化の原因にも、もちろん諸説あると思われますが。
年代的にも「千利休」の出現によるところが大きい事は。やはり多くの人が認めるものと思われます。

いわゆる、秀吉の「派手好き」と、利休の「侘び・寂」の確執は、これの象徴的事件と言えるでしょう。
(利休が、より具現化・体系化したとも言えるでしょうか)

その後、「鎖国」により。他国・異文化の影響が、極端に乏しい時代が三百年続き。
その間。良く言えば「江戸独特」の文化が極められ。悪く言えば、ほとんど「発展・展開」しないまま。明治維新を迎え、現在に至っています。

江戸期以降の文化の変遷は。少なくとも我々素人から見ると。ほとんど「間違い探し」の世界で。変化した部分を探す方が難しい程の、「単一」「定型化」文化です。

例えば極端な例として、コミュニケーションさえ、かなり明確な「定型化」が施され。
いわば「手続き主義文化」と表現できるほどの、定型化文化です。

「コミュニケーション」というものは、文化的因子の中でも、最も変化の激しい(早い)ものであり。
これさえ、定型化されていたというのは。「どれだけ変化に乏しかったか」をものがたる証拠でもあると、筆者は思っています。

左) 「一輪挿し」 この写真では、かなり鮮やかな花が挿してありますが。極めてシンプルな意匠です。
右) 「富岳三十六景」 江戸期の美術も色鮮やかで、なおかつ、旅行記から春画まで実に多彩であり。

    その意匠は西洋でも高く評価されています。

作者の主観論的総論として・・・。
「単一的文化」。この言葉を考えると、なによりまず「異端」というキーワードが導かれるのではないかと思います。しかし異端という言葉は、元々西欧のものです。
「何故なのだろう?」。このパラドクスをよくよく突き詰めると、一つの答えが導き出されます。

つまりヨーロッパは。ルネサンス・大航海時代の到来により。
新進気鋭の文化・文明が出現し。また世界の文化・文明が怒涛のごとく輸入されるに至った西欧で。変化を嫌った保守派勢力が、先鋭文化を俗悪化するための方法論として使った言葉だったのです。
(もちろん「異端」という言葉自身はもっと以前。例えば使徒パウロ(目からウロコで有名な)の書簡にも見られる、古い言葉です)

つまりつまり。変化する西欧が発症した「知恵熱」のようなものです。
ところが日本は。変化の「へ」の字も無かったため、このような「変化・感化」に対抗する意識は生まれませんでした。

上記の「浮世絵」も。西洋では大変高い評価を受け、実際、この意匠を取り入れた画風(画家)も輩出されました。つまり西洋では、ここでも、いち早く異文化を取り入れたのです。
しかし逆に江戸で、西洋の画風や文化を取り入れる気運は起こりませんでした。

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江戸の世の中で「自然発生的」に生まれた極端な文化もあったでしょうが。これ等は強い「保守的」「排他的」社会によって摘み取られ。
「歴史に名を残す」に至らなかったものと思われます。

例えばこれは「文明の力」ですが、江戸期に「飛行機」を作った人がいる事が示唆されています。
しかし、もし江戸の世で飛行機を飛ばしたら、それこそ「大騒ぎ」。「世を騒がせた大罪人」として処刑されたかも知れませんね。

(これは例なので、「浮田幸吉」は長寿をまっとうしたとされています)

こうしてご存知のように、この「知恵熱」は。日本の場合、三百年経った後。鹿鳴館時代という形で、発症する事となります・・・。

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− 番外編 意匠U 洋風 −

今度は洋風です。
もちろん、和風を遥かに超える膨大なテーマで、骨格・大別だけ挙げるにも。こんな場所では、全く持って不十分であることは、言うまでも無い事を、予めご了承下さい。
(例えばウィキペディア「西洋美術史」項は膨大ですが、それでもいまだ「唯一の出典」と、指摘されている程なのですから・・・)

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欧州文化の基礎・伝統は、言うまでも無く「ギリシャ」「ローマ」です。
ローマは建築・技術・社会制度等。高度な「文明」に秀で、世界を席捲して行きましたが。こと「文化」面においては、悪く言えば節操が無く。異文化を吸収しては、取り入れて行く方式をとったため。
ギリシャ文化の影響が強く、「領土を侵略したローマは、文化でギリシャに占領された」と揶揄されました。


ローマ市民の文化は、街並み、酒場、サーカス、賭博。どれも、まるで現代社会の、「昨日の出来事」のよに、近代的でした。 右)映画「グラディエータ」より。

宗教面も、異教であるところのキリスト教に鞍替えし。首都を遷都した後、東西に分裂します。
ビザンツ(東ローマ)は、様式・文化・文明共に。変化はしたものの(スラヴなど)、大きく変わる事無く、現在のギリシャ正教文化として受け継がれて行きます。

一方の西ローマ(西欧)は「暗黒の時代」を迎えます。
ゲルマン人が侵入し、大小様々な国(もしくは部族・集団)を建国しましたが。
これ等のゲルマン人諸国家は。ローマの、制度面をあまり吸収・施行しなかったため。西欧諸国は十一世紀に至るまで、極めて経済が低迷しました。

例えば象徴的事件として、「金貨」も消え。ローマと相対的に極めて原始的、自給自足的生活に陥ってしまいまったのです。
(相対的:世界規模からすればそれでも先駆的)


左 イングランドを征服するノルマン人(ノルマンディー公ウィリアム)   右 ビザンツ皇帝 ユスティニアヌス一世
神官が世俗権力を持ち、時には祭司自ら領地支配者となった西欧と異なり。ビザンツ皇帝は、常に聖職者の上に立っていました。

これは「イスラム包囲網が原因だ」とする向きもありますが。客観的立場からは、ゲルマン人の自業自得的側面が大きく。
実際、例えばゲルマン人部族の一つ、「ノルマン・バイキング」による略奪・破壊は。ほとんどのゲルマン人諸国家に、壊滅的打撃を与え。
これを防ぐべく、各国の社会構造を変えるに至った程でした。

(ノルマン人・バイキングを多く取り上げていますが、もちろん。西ゴウト族・バンダル人等の略奪・破壊も凄惨を極め。何と、あまりの破壊活動により、ほとんどの「記録」が消滅してしまった程です。)

表現するのが難しいのですが。
これらゲルマン人諸国家は。征服欲・独立心等と、建設的創造力のバランスが悪かった。と言えるでしょうか。

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東のユスティニアヌスを取り上げたので、年代は下りますが。
左) シャルルマーニュ一世。(カール大帝)
いわゆる「西欧」と言う言葉の枠組みを築いた太祖です。

ラテンカトリックが大ブレイクを見せ始めた時代。
無一文から西欧きっての豊かな王国、ノルマン・シチリア王国を築いた。
右) ルッジェーロ一世。(ロゲリウス一世)

カロリング朝を引き継いだ、シャルルマーニュ一世により。「フランク王国」という名の下に、一度は、ほぼ統一の兆しを見せますが。この死後分裂し。
大枠で、「東西フランク王国」と「イタリア王国」の三勢力となりました。

その後西欧は急成長を遂げ、ルネサンス・大航海時代を向かえ。十字軍を送るなど、ヨーロッパ全域を掌握するに飽き足らず。「世界をも席捲する」状態に至って行きます。
文化も、バロック、ロココ等と、多種・多様な様式が派生し。極めて洗練の一途を辿って行ったのです。


左) 暗く長かった暗黒時代のラテン・カトリックに訪れた、明るいルネサンス文化。
右) もはや止め処なく、加速度的に暴走を遂げる西欧文化。(映画マリーアントワネットより)

筆者の揶揄的・主観的総論として・・・。

ギリシャとローマ(文化面)は、一度は完全な一体化をなしたのにもかかわらず。分裂し、お互いを「破門」し合い。前記カール大帝も皇帝位を得られませんでした・・・。
(もちろん分裂したギリシャ正教とローマ・カトリックは、古代ローマ・ギリシャとは別物ですが)

結果的に西欧は、「神聖ローマ帝国」という。言わば「自称ローマ」を創り出しましたが。ほとんど「実体」は無く。言わば「無政府状態」を数百年に渡って続ける事となります。
ただ無政府状態といっても、争ってばかりいた訳では無く。「ステータス・クオーク」と呼ばれる、現状維持意識の元。微妙な「均衡」を保ちながら歴史を刻む事となります。

世界的・歴史的に見て。
「中央集権体制」と「封建制」を比較したとき。両者の体制をデジタルのように分けることは不可能で。「どちらに寄っているか」という、程度問題と言えます。
例えば日本は征夷大将軍のもとに治められた、かなり強い中央集権体制でしたし。
西欧はその点。「ほとんど独立」した領邦国家によって分割統治された、極めて強い封建制社会で。ぶっちゃけ、「神聖ローマ帝国」とは形だけのものでした。

こうして「東西ローマ帝国」「イスラム帝国」と言うヨーロッパの各勢力は、徐々に激しい緊張を解きほぐしながら歴史を重ね。

18世紀になると、大航海時代の副産物とも言える。現代世界の中核をなす、アメリカが独立します。

アメリカという国。
実はヨーロッパの強過ぎる「封建主義(社会主義)」から逃げるように渡った人が多く・・・。
歴史家の中には、「移民の国」と言うより「難民の国」とする方が的を得ている。とする人もある程で。

現代世界の米英蜜月からは想像できませんが。
極めて反ヨーロッパ。実際、具体的かたちとして、20世紀に入ってもなお「モンロー主義」を全面に打ち出していました。

記憶に新しいところでは、東洋の先進国、大日本帝国が。この欧・米の関係を「読み誤まった」のも、大戦枢軸国にまわった原因の一つとされていますよね。

しかし蓋を開ければ、やはりアメリカはヨーロッパの申し子であり。文明・文化両面において、言わば「ニュー・ユーロ(新欧州)」であることは言うまでもなく。

古代ローマ時代、ローマ人は地中海を「我らの海」と呼びましたが。
新大陸を手中に収めたローマの子孫たちは、ここに至って、「大西洋をも我らの海」という状態に至ったのです。

言葉が走りましたが、まぁ主観論という事でご了承頂きたいと思います。しかし大西洋が我らの海とは・・・。
(もの凄い駆け足で世界史を旅してみました。お題は・・・デザインだった筈なのに・・・)


参考文献

左 山川出版社 「要説世界史」
いわゆる「学校教科書」です(高校)。極めて簡潔に説明しているので、自分のように、「全体を把握したい」と考える人には、最も適した書物です。

右 帝国書院 「同時代史的 図解世界史」
やや翻訳の言い回しに英語的部分が見られますが、読むに支障は無く。ヨーロッパ、イスラム、アジア、そして新大陸と。客観的に取り上げている感があります。
ぼう市立図書館で借りた物で(この頃作者は図書館に毎日通っていました)。なんと400ページ全てスキャン・プリントアウトして、複製しましたとさ・・・。


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